「たとへばこんな怪談話 外伝=傘化け=」  七月の中頃、この時期は新暦のお盆にあたる。秋山庄兵の家では、新暦のこの時期に先 祖の霊を迎える。しかし、仕事が物凄く忙しく、まだ独身の庄兵にはお盆の儀式が出来る わけではなく、実家の星野家から、母親に来て貰って、先祖の霊を迎えて祭って貰ってい た。  この日も庄兵が独り夜遅くまで会社で残業して、帰宅しようと会社のフロアの窓から外 を見ると、雨が降っていた…  「雨降ってる…傘持ってきてないし…」  庄兵は困ったが、終電が近いので着替えようとロッカーを開けると、そこに一本の番傘 があった。以前、舞子と言う名の叔母の霊から番傘を借りたことがあったが、それは家に 置い置いたら、そのうち無くなってしまったのを覚えていた。多分、叔母の霊が番傘を持 ち帰ったのだろうと思っていた。  「番傘?あれ?あの番傘は確か舞子おばさんに返したはずだけど…まぁ、丁度いい…」 と、独り言を言いながら、番傘に手を伸ばすと、番傘の傘の部分に丸い物が見えた。いや、 それは長いまつげ付いた目玉で、その下には紅い唇があり、傘の柄の部分に当たる場所は、 すね毛のない細くて白いなまめかしい足が出ていた。  「???」  ギョッとして伸ばした手を慌てて引っ込めた。そしてその体制のまま、庄兵は硬直した。  「か…傘化け…」 と、庄兵がこわごわ言うと、その傘の目は笑った。  「でたーーーーーーーーーっ!」  深夜の会社のフロア中に響き渡るような声で絶叫した。以前なら、速攻で気絶していた はずであるが、ここ数年間に度々幽霊や妖怪などを見ていると、多少は免疫が出来たので あろう、庄兵は一応正気を保っていた。その絶叫を聞いて、  「…ひどい」 とね傘化けはぼそりと言った。  「えっ?」  その一言を聞いて庄兵は真顔で驚いた。  「ひどいじゃないの!人を化け物扱いして」 と、傘化けは瞳をウルウルさせて訴えた。「化け物に”化け物”と言ってはいけないのか?」 と考える余裕など全くなく、庄兵は困ってしまった。  「わたしは、舞子様から庄兵様が雨に降られて難儀しているから、傘として使われてく るようにと言いつかって参りました」  傘化けは涙ながらに訴えた。庄兵は狼狽えながら、  「舞子おばさんから?」 と聞くと、  「はい」 と、傘化けはしおらしく言った。  「うーーん」  庄兵は、しばらくまとまらない考えに呻っていたが、ハタと終電が近いことを思い出し、 慌てて最終退場手続きを済ませると、傘化けを脇に抱えて出口に走った。  そして、地下の管理室から地上に出る重い扉を開けて、傘をさそうと傘化けの足をつか むと、  「きゃっ」 と、傘化けは小さな悲鳴を上げた。そして  「もっと、優しく扱って下さい」 と文句を言った。  「…分かった。ごめん」  庄兵は、なぜか照れて、ゆっくりと傘化けを差し上げると、  「どうした?開いてくれ」 と言った。でもいつまで経っても、傘が開かないので、差し上げた傘化けを見上げると、  「いやん!」 と、傘化けは言った。  「お前、傘だろ?なら、傘の役目を果たせ」  庄兵は連日の深夜残業で疲れ果てていて、気が荒れていた。周囲からも「ここ数日で、 人格が変わった」と言われるくらいである。  「…だって、乙女に『開け』だなんて…」  傘化けは恥ずかしがった。それを聞いて庄兵の方が恥ずかしくなった。しかし、傘が開 かないと自分が濡れてしまう。  「そんな傘、気持ち悪くていらない!とっとと、舞子おばさんの元へ帰れ!!」 と言って、怒って庄兵は傘化けを放り出そうとした。その途端、  「…そんな…わたし勤めを果たさないと、怒られてしまいますぅ」  傘化けはしくしくと泣き出した。庄兵は頭に来て、  「じゃあ、どうすんだよ!」 と怒鳴った。  「わかりました…わたしをお使い下さい。でも、決して上を見上げないで下さいね」 と言うと、傘化けは傘を開いた。庄兵は覗き込みたい気持ちを必死に押さえて、一目散に 駅に向かって、長い道のりをひた走った。傘化けは、庄兵の手荒い扱いにキャーキャー言 いながらも、傘の役目を果たしていた。しかしその途中で、独りの女性に道を阻まれた。  「ほっしのさーーん!…いや、今は秋山さんでしたっけ?」  首を少し傾げてうつむき加減に上目遣いで見つめる女性を見て、庄兵は一言  「…でたな!盆帰り…」 と言い切った。  「そんな…あからさまに嫌わなくても…」 と言って、高瀬直子の霊はいじけた。  「なんで、ここに居るの?確か成仏したんじゃなかったっけ?」  庄兵は少し剣幕気味に直子に問いただしたが、直子はそんなこと全然気にせずに、  「はい、盆帰りですぅ」 と言って、直子はハタと口を押さえた。それは、自分が『盆帰り』と認めたことを言った からである。  「俺は疲れてんだ。高瀬さんも早く家に帰りなさい!」 と、言うと高瀬の横をすり抜けるように駆けだした。  「あん、待って下さい!」  直子は庄兵と平行するように付いていった。  「また、相変わらず番傘ですか…って、なんですか?これは??」  直子は傘化けを指さして驚いた。  「あっ、どうもーー、”傘化け”ですぅ」  照れながら挨拶する傘化けを見て、  「なんで、こんなの持って居るんですか?」  「ひっ、非道い!『こんなの』は、ないでしょう!」  傘化けはよよと、鳴き始めた。そんなことは気にせずに、直子は何かに気づいたかのよ うに喜んで、  「…と言うことは、秋山さんもようやく、霊や妖怪に慣れたのですね」  喜んで、庄兵に抱きついた。そんな直子と傘化けに、  「おっ、お前らゴチャゴチャ煩い!」 と、庄兵は怒鳴った。  直子と傘化けの即席漫才コンビに悩まされつつ、また、二人が自分の側にいるのがばれ やしないかと、冷や汗もので庄兵が家に帰ると留守番の母親はとうに寝てしまっていて、 誰も出迎えてはくれなかった。  仏間には盆帰りしてきた先祖達と楽しく歓談している庄兵の守護霊である祖母の静が見 えた。それを見て、一応庄兵は先祖の霊に線香を手向けると、  「静さん、助けて」 とすがるように静に言った。  「なぁに?庄兵さん?」  話の腰を折られた静は少し不機嫌になりながらも、孫の庄兵の方に向いた。  「舞子おばさんは、変なモンよこすし、高瀬さんに会うわ、大変」 と言う庄兵の話を聞いて、静は怪訝そうな顔をしたが、突如ハタと思い直して  「あらあら、ごめんなさいね。つい皆さんと話が弾んじゃって…本来の役目を果たさず に…でも大丈夫よ、この屋敷には結界を張っているから」 と、申し訳なさそうに言った。  「結界?」  「そうよ、引っ越してきた日に、私の指示で御札とか色々やったでしょ」  「うん」  「それが結界を張ったことになるのよ」  「ふーーん」 と、庄兵は納得したようなしないような返事をした。  「庄兵ちゃん、雨大丈夫だった?」  庄兵に気づいた叔母の舞子の霊が近寄ってきた。叔母と言っても、夭折したので姿は小 学生のままである。  「これ、舞子。あなたよりによって”傘化け”を使いにやったのね?」  静がしかめっ面を舞子に向けたが、舞子は全然気にしなくて、  「うん。庄兵ちゃん雨に降られて困ると思って…」  平然と無邪気に答える舞子を見て、庄兵は折角自分のことを思って傘化けを送ってくれ た舞子を心配させまいと笑顔を取り繕った。  「いや、役に立ったよ」  「ホント?」  舞子の顔が明るくなった。それを見て、静はため息をつくと、  「あの”傘化け”は、我が家の憑き物だから大丈夫よ。ちゃんと躾してありますから」 と言った。  「でも、色々煩かった」  「えっ?…ちょっとアンタ!」 と答える庄兵に対して、静はキッと傘化けを見据えた。  「ひーーん、ごめんなさい」  静の一喝に傘化けは恐縮した。  「…で、高瀬さんは?」  静は思い出したように庄兵に向き直って言った。  「門まで来たら、消えちゃった…」  「あら…きっと結界にかかっているわね、ちょっといらっしゃい」 と言って、静は庄兵を門まで連れて行った。そこには、先ほどの庄兵には見えなかった直 子が門柱に張り付いたような格好になっていた。直子は庄兵と静を見つけて、  「あっ、…えーーと、星野さんの守護霊の静さんでしたよね?ちょっと、ここまで来て この門に吸い寄せられて動けなくなったのですが…」  「あら、ごめんなさいね。このままだと除霊されてしまうわね」  「ええっーーー」  直子は驚いた。  「そうよ…庄兵さんに取り憑く悪い虫を取り除くのに…ね」 と言って、静は高飛車に直子を見てニンマリと笑った。  「そんな、殺生な!」  直子は涙目に訴えた。それはまるで、舅が嫁をいびっているような光景であった。  「ま、冗談もそこそこにして…ちょっと庄兵さん、そこと、ここの御札を剥がしてね」  静と直子のやりとりにあっけにとられていた庄兵であったが静に促されて、指示された 御札を剥がすと、直子は柱から離れた。  「ほらほら、高瀬さんも早くお家にお帰りなさい」  「はぁい」 と静に促されて直子の霊は未練を残しつつも、秋山家から去っていった。  「…これで、一件落着!」 と言って、静は一息つくと、  「さて、庄兵さんも早く寝ないと…明日も早いでしょ?」  「うん…」  庄兵も直子に対して、多生未練があるようだったが、眠気の方が優先して家に引き返し た。  「見てみて、庄兵ちゃん」  「いやーーん、恥ずかしいですぅ…」  部屋に戻ると、叔母の舞子が傘化けに網タイツとピンヒールを履かせて喜んでいた… 藤次郎正秀